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東京地方裁判所 昭和34年(レ)202号 中間判決

控訴人(被告) 横田一太郎

被控訴人(原告) 日下芳子

主文

原審の判決の手続が法律に違背したものとはいえない。

事実

控訴代理人は、原審における控訴人に対する送達手続は適式になされなかつたものであるから、原審の判決の手続は法律に違背したものといわなければならないと主張し、その理由を次のとおり説明した。

一、控訴人は、本件訴訟が提起されるに先立つて昭和三十一年四月日本海外協会連合会ドミニカ支部長に就任し、ドミニカ共和国に赴任して以来現在に至るまでその首都のシウダートルヒーリヨに在留中である。控訴人の在留期間は、渡航に当り長くとも二年と取りきめられたのであるが、予定の期間が終つても後任者が得られないまま、後任者の来任するまでという諒解のもとに、控訴人は引き続き在織しているのである。

二、原審において控訴人あてに送達された訴状、原判決の基本となつた各口頭弁論期日についての呼出状及び原判決の正本は、すべて控訴人の海外渡航前における住所であつた東京都練馬区中村南一丁目二十九番地において、訴外横田英二(控訴人の二男)又は訴外千田和子(控訴人の妻が同所において経営していた私立ときわ幼稚園の雑務の手伝人)が受領したのであるが、当時控訴人の住所はその在留先に移転されていたばかりか、訴外横田英二及び千田和子は、いずれも控訴人に代つて送達を受ける権限を有しなかつた。殊に昭和三十四年一月三十日午前十時の原審口頭弁論期日についての控訴人に対する呼出状が執行吏により前同所において送達されようとした際に、訴外横田英二から、控訴人は昭和三十年四月以来渡米中である旨の申出がなされたため、その送達は不能に帰したことがあつたのである。しかるに原裁判所は、この事実を無視し、控訴人に対して適法な呼出手続を行わないまま昭和三十四年二月二十七日に開いた口頭弁論期日に弁論を終結したのであるが、その後口頭弁論が再開され、同年三月二十日午前十一時五分の口頭弁論期日に、被控訴人の訴訟代理人であつた訴外日下正一によつて訴状訂正申立書の陳述その他の弁論が行われ、再び弁論が終結されたけれども、この口頭弁論期日についての控訴人に対する呼出もまた適法になされたものではない。なかんづくその当時、控訴人の長男である訴外横田昭一が右最終の口頭弁論期日の開始前に、控訴人は昭和三十一年四月以来ドミニカ共和国に在留し、控訴人を代理する者がいないから、控訴人に送達すべき訴訟書類等は直接控訴人の在留先に直送されたい旨の上申書を、ドミニカ共和国駐在日本大使の在留証明書添附の上原裁判所に提出したにかかわらず、前述のとおりそのまま口頭弁論が実施され、弁論の終結、続いて原判決言渡の手続がなされてしまつたのである。

三、叙上のとおり原判決の手続には法律に違背する点が存するのであるから、この点において原判決を取り消し、本件を原審に差し戻すべきである。

被控訴代理人は、控訴人が本件訴訟の提起される以前から現在に至るまでドミニカ共和国の首都に在留中であることは認めるけれども、原審における控訴人に対する送達手続はすべて適法になされたものであつて、原判決の手続には何ら法律に違背する点はないと答弁し、その論拠を次のとおり陳述した。

一、控訴人のドミニカ共和国における在留は、この点に関する控訴人の主張からしても明らかであるように、一時的、暫定的なものであつて、控訴人の生活の本拠は依然として、その渡航前における住所地であつた東京都練馬区中村南一丁目二十九番地に存しているのである。すなわち、控訴人は、ドミニカ共和国に出張後においても、かねて右住所地において経営していた私立ときわ幼稚園の園長の地位を引き続き保持し、依然その経営を継続しているほか、被控訴人の夫である訴外日下正一が控訴人の海外渡航後控訴人を被告として提起した豊島簡易裁判所昭和三十一年(ハ)第五三〇号契約金請求訴訟事件に関しては、長男の訴外横田昭一を自己の訴訟代理人に選任して応訴させた等の事実のあることは、控訴人の住所が前記の場所からその在留先に移転されたものでないことを明白に裏付けるものである。

二、のみならず、控訴人は、ドミニカ共和国に在留中においては、自らに関係のあるわが国における一切の事務について長男の訴外横田昭一及び二男の訴外横田英二に代理権を授与しているのである。従つてたとえ前項の主張が認められないにしても、原審における控訴人に対する送達書類がその留守家族によつて受領された以上、控訴人本人に対し送達の効力を生じたものといわなければならない。(証拠省略)

理由

一、原審の訴訟記録によると、原審における訴訟手続で、この判決において判断すべき争点に関係のあるものは、大略左のとおりであることが認められる。

(一)  昭和三十三年二月十九日に訴状が受け附けられた。

(二)  同年三月二十七日に郵便集配人により、被告(控訴人)あての同年四月四日午前十時の口頭弁論期日の呼出状が訴状とともに東京都練馬区中村南一丁目二十九番地において送達されたが、その期日は、原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一の書面による申請に基いて当事者双方不出頭のまま同年五月十六日午前十時に延期された。

(三)  右延期にかかる口頭弁論期日についての被告(控訴人)に対する呼出状は、(二)と同様の方法によつて同年五月十四日に送達されたが、この期日も原告(被控訴人)の書面による申請に基いて当事者双方不出頭のまま同年六月十三日午前十時に延期された。

(四)  右延期にかかる口頭弁論期日についての被告(控訴人)に対する呼出状は、執行吏代理により、同年五月二十四日前同所において送達され(受領者は使用人千田和子)、その期日においては、原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一が訴状を陳述し、同年九月十二日午前十時が次回の口頭弁論期日と定められた。

(五)  訴状陳述の行われた右期日には被告(控訴人)の出頭がなかつたところから、右続行期日についての被告(控訴人)に対する呼出状は、郵便集配人により、同年九月十一日前同所において送達され(受領者は同居人横田英二)、その期日は、原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一のみ出頭の上、その申請に基いて同年十二月十九日午後一時に延期された。

(六)  右延期にかかる口頭弁論期日については被告(控訴人)に対する呼出手続がとられず、出頭した原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一の申請に基いて昭和三十四年一月三十日午前十時に期日が延期された。

(七)  右延期にかかる口頭弁論期日についての被告(控訴人)に対する呼出状は、執行吏代理により、昭和三十四年一月二十六日前同所において送達されようとしたが、訴外横田英二から、受送達者は昭和三十年四月より渡米中であるとの申出があつたため、その送達は不能に帰し、右期日は、出頭した原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一の申請に基いて昭和三十四年二月二十七日午前十時に延期された。

(八)  右延期にかかる口頭弁論期日についての被告(控訴人)に対する呼出状は、郵便集配人により、同年二月七日東京都中野区打越町二十六番地において同居人相磯佐七に受領させることによつて送達され、その期日には、原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一のみが出頭し、弁論が終結され、判決の言渡期日が同年三月十三日午前十時と定められた。

(九)  同年三月五日に至つて原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一からの申請があつて口頭弁論が再開され、同年三月二十日午前十時と定められた口頭弁論期日についての被告(控訴人)に対する呼出状は、郵便集配人により、同年三月九日東京都練馬区中村南一丁目二十九番地において同居人横田英二を受領者とすることによつて口頭弁論再開決定の正本及び原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一から提出された同年三月五日附訴状訂正申立書とともに送達され、その期日には右日下正一のみが出頭して、右訴状訂正申立書の陳述その他の弁論を行つて、そのまま弁論が終結され、同年四月三日午前十時が判決言渡期日に定められた。

なお、同年三月二十日には、被告(控訴人)が昭和三十一年四月以来ドミニカ共和国に在留し、本件訴訟につきこれを代理する者がいないため、同人あての書類はその現住地あてに直送されたい旨の同年同月十九日附の横田昭一名義の上申書がドミニカ共和国駐在日本大使小長谷綽作成の在留証明書を添附して原裁判所に提出された。

(一〇)  原裁判所は、同年四月三日午前十時二十五分、原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一出頭、被告(控訴人)不出頭(後者に対する呼出手続はとられなかつた。)の期日において原判決を言い渡し、被告(控訴人)あての判決正本の送達は、郵便集配人により、同年四月六日前同所において行われた。

二、そこで右に挙示した原審における訴訟手続が適法なものであるかどうかについて考えてみることとする。

(一)  控訴人が本件訴訟の提起される以前からドミニカ共和国に渡航し、爾来引き続きその首都に在留していることは、当事者間に争いのないところであるから、前示各送達中控訴人以外の者に書類を交付したことが送達報告書に明示されていないものも現実に直接当該書類をその受送達者本人である控訴人に交付してなされたものでないことは、疑いの余地のないところである。成立に争いのない甲第十三号証及び当審証人横田昭一の証言によると、原審において控訴人あての送達が行われたものとされている場所のうち東京都練馬区中村南一丁目二十九番地は、控訴人が昭和三十一年四月、日本海外協会連合会ドミニカ支部長として赴任するためドミニカ共和国に渡航するまで妻子(但し、長男の訴外横田昭一を除く。)とともに居住していた住所地であつて、昭和三二年三月下旬に控訴人の妻である訴外横田清江が控訴人の海外在留先に呼び寄せられてから以後は、控訴人の二男である訴外横田英二が引き続きそこに居住して来たのであり、また前記送達場所のうち東京都中野区打越町二十六番地には、昭和三十年七月以来控訴人の長男である訴外横田昭一が住所を設けていることが認められる。

そうだとすると、原審において控訴人に送達されるべきものとして交付された書類は、いずれも前記各場所において訴外横田英二若しくは訴外横田昭一又は同人等の家族その他の同居人の誰かが受領したものと認めるべきである。

(二)  ところで本件において、原審における控訴人に対する送達手続が違法であり、いわゆる第一審の判決の手続が法律に違背したとき(民事訴訟法第三百八十七条)に当るものとして原判決を取り消すべきかどうかを考究するについては、一、に判示した原審における訴訟手続中その(一)には別に問題がなく、また少くともその(二)ないし(八)及び(一〇)に掲げたものが仮に法律に違背するものであつたとしても、原判決の成立手続に違法があるものとして原判決取消の事由にならないことは、上述の原審における訴訟手続の経過等に照らして明らかであるから、以下においてはもつぱら残りの(九)に記載した訴訟手続の適否に問題を局限しつつ判断を進めることにする。

(三)  するとここで考察しなければならないのは、一に(イ)原審における被控訴人の訴訟代理人日下正一によつて訴状訂正申立書の陳述その他の弁論が行われた昭和三十四年三月二十日午前十一時五分の原審口頭弁論期日についての控訴人に対する呼出状のほか口頭弁論再開決定の正本及び右訂正申立書の送達の場所である東京都練馬区中村南一丁目二十九番地に当時控訴人の住所、居所、営業所又は事務所が存していたかどうか(民事訴訟法第百六十九条第一項本文)、(ロ)同所において右送達書類を受領した訴外横田英二が控訴人の事務員、雇人又は同居者で事理を弁識するに足りる知能を具える者であつたかどうか(同法第百七十一条第一項)、(ハ)その他右送達を有効とするに足りる何らか別の根拠があるかどうかの三点に帰着する訳である。

(イ)  被控訴代理人は、当時においても控訴人の住所は依然として東京都練馬区中村南一丁目二十九番地にあつたと主張する。けれども当審証人横田昭一の証言によると、控訴人は昭和三十一年四月、日本海外協会連合会のドミニカ支部長としてドミニカ共和国の首都に在留するため単身で赴任した(このことは先にも判示した。)ものであつて、渡航に当つて在留期間は二年間と取りきめられていたのであるが、その期間を過ぎても後任者が得られないので、そのまま現在に至るまで在職を続けており、また渡航当時就任していた東京都練馬区中村南一丁目二十九番地の私立ときわ幼稚園の園長の地位は渡航後においても依然保持していながら、右地位に伴う一切の事務の処理は妻の訴外横田清江に委任してあつたところ、昭和三十二年三月下旬自らの在留先に妻を呼び寄せ、右幼稚園は昭和三十四年三月三十一日限り休園されるに至つたことが認められる。

右に認定した事実からするときは、先に指摘した昭和三十四年三月二十日当時においては、最初に予定された控訴人のドミニカ共和国における二年の在留期間が満了したときから既に約一年近く、控訴人の妻の渡航のときからみれば殆んど二年の年月が過ぎ、控訴人の帰国の目当てもつかず、また右幼稚園も休園の直前であつたことが明らかであるので、少くともその当時には控訴人の住所はもはや渡航前の居住地にはなかつたものと認めるのを相当とし、反対の事実を認め得る証拠はない。そして右に判示したところからすれば、控訴人が前記場所に居所を有していたことのないことも明らかである。しかしながら当時においても、控訴人は、依然としてときわ幼稚園の園長の地位に留まり、かつ、右幼稚園はとにかく開園されていたことが前記認定からして知り得られるのであるから、右園長としての控訴人の職務に関していえば東京都練馬区中村南一丁目二十九番地には当時なお控訴人の事務所が置かれていたものと認めるべきであり、この点についての反証はない。

(ロ)  訴外横田英二が控訴人の二男であることは、前に判示したとおりであるが、同人が控訴人あての昭和三十四年三月二十日における原審口頭弁論期日についての呼出状その他上掲送達書類を受領した当時、控訴人の事務員又は雇人であつたことを認め得る証拠はなく、また同人は、当時海外に在留中の控訴人の同居人にも当らない。

(ハ)  しかしながら、

(1) 成立に争いのない甲第十号証から甲第十二号証までと当審証人横田昭一及び日下正一の各証言によると、被控訴人の夫である訴外日下正一が自ら控訴人に対して提起した豊島簡易裁判所昭和三十一年(ハ)第五三〇号契約金請求訴訟事件(以下別件訴訟という。)について、訴外横田昭一は、昭和三十二年二月二十二日裁判所の許可を受けて控訴人(別件訴訟の被告)の訴訟代理人となり、昭和三十四年一月二十七日附で裁判所に提出した書面により辞任するまで控訴人に代つて応訴していたことが、

(2) 前出一、の(九)の後半の認定事実に当審証人横田昭一の証言を合せると、訴外横田昭一は、本件訴訟について原審において一旦終結された口頭弁論が再開されて、その再開決定の正本、昭和三十四年三月二十日午前十時と定められた再開後の口頭弁論期日についての呼出状及び上掲訴状訂正申立書が控訴人あてに送達されたことを、これら書類を受領した訴外横田英二から聞き及んで、右期日に原裁判所に赴き、既述のように控訴人に対し送達すべき本件訴訟の関係書類は本人の在留先あてに直送されたい旨の上申書を提出したことが、

(3) 本件訴訟に関する原審の記録と本件において取寄にかかる別件訴訟の記録とを対照してみると、本件訴訟は、原審において別件訴訟と同一の裁判官によつて審理され、かつ、昭和三十三年六月十三日午前十時の口頭弁論期日以後昭和三十四年二月二十七日午前十一時三十分の口頭弁論期日まで五回にわたる各口頭弁論期日は、いずれも同一の日の同一時間又は接近した時間に開かれて来て、そのうち二回の別件訴訟の口頭弁論期日には訴外横田昭一が控訴人(当該事件の被告)の訴訟代理人として出頭していることが、それぞれ認められる。(2)の認定は当審証人日下正一の証言によつても左右するに足りないし、その他叙上各認定を覆すに足りる証拠はない。そしてこれら認定事実に当審証人日下正一及び横田昭一の各証言(但し、後者の証言中後掲措信しない部分を除く。)を総合して考えるときは、控訴人は、原審における問題の昭和三十四年三月二十日午後十一時五分の口頭弁論期日の前に既に、本件訴訟が提起されていることを在留先にあつて熟知しつつ、本件訴訟につき弁護士を訴訟代理人に選任するときまでは、日本に在住している控訴人の家族、特にかつて別件訴訟について自らの訴訟代理人に選任したことのある長男の訴外横田昭一において本件訴訟にその進行に応じて適宜対処すべきことを指示していたものと認めるに難くないのである。当審証人横田昭一の証言中この認定に牴触する部分は措信することができず、他に右認定に反する証拠はない。

かようにみて来ると、原審における昭和三十四年三月二十日午前十一時五分の口頭弁論期日についての控訴人に対する呼出状を始め、前示口頭弁論再開決定の正本及び訴状訂正申立書を同年同月九日に、当時控訴人がその園長をしている私立ときわ幼稚園の所在地において郵便集配人から受領した控訴人の二男である訴外横田英二はさらにそのことを控訴人の長男である訴外横田昭一に遅滞なく知らせたことは明らかであり、しかも本件訴訟が控訴人の経営する右幼稚園の教員として控訴人に雇用されたと主張する被控訴人から、控訴人の被控訴人に対する解雇の無効確認と控訴人に対する賃金支払を請求するためのものであることからすれば、前示のようにして同年三月九日東京都練馬区中村南一丁目二十九番地において控訴人あてになされた送達は、控訴人本人にその効力を生じたものと解するのが相当である。

(四)  してみると本件訴訟についての原審における昭和三十四年三月二十日午前十一時五分の口頭弁論期日は適式に開かれ、そこで原告(被控訴人)訴訟代理人日下正一の弁論その他の訴訟手続が適法に行われたものであり、また先に判示した如く同期日において原判決言渡の期日が指定告知されたものである以上、控訴人に対しそのための呼出手続がなされなかつたとしても、原判決の言渡手続にはいささかの違法のかどもないものというべきである。

(五)  叙上これを要するに本件訴訟についての原審の判決の手続には少しも法律に違背した点はないのである。

三、よつて主文のとおり中間判決をするものである。

(裁判官 桑原正憲 駒田駿太郎 半谷恭一)

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